「待ってた」のはずっと前から説

「ほむらは一体いったいいつから『待ってた』のか」?
暁美ほむらには叛逆の劇中で「自分が魔女であることを認識し」「自ら悪魔となる」という二種類の決断が課せられていることは、既に述べたとおりですが、この「自ら悪魔となる」という決断は、ファーストまどかのラストから叛逆の物語冒頭の間の描かれないシーンで朧げながら芽を出していたのではないか、と最近想うのデス。

そう解釈すると、叛逆の冒頭のほむらのモノローグ「あの懐かしい笑顔に再び巡り会うことを夢見て」が活きてくる。

勿論、魔獣と日々戦っていたほむらちゃんにとっては、これは無意識に根ざした願望。疚しい欲望。
命がけで戦う私たちだからこそあの子は自らを犠牲にした、というまどか信仰がほむらちゃんが戦う理由であったのだから、心の奥底にずっとしまい続けていた、だからこそ一旦爆発すればもう誰にも押しとどめることのできない破壊力をもった類の激情。
→心の奥底にしまいこみ、戦い続ける。

しかしどうしても「もう一度会いたい」。

でも、円環まどかでさえ会うためにはまず自分が魔女になってしまわなければならない。(すでに魔女という概念もないのですが)
加えてファーストまどかのラストシーンでの「こんな結末であの子は報われるの?!」という本心の叫び。
→心の奥底にしまいこみ、戦い続ける。

叛逆の批評の中には「ほむらはまどかの願いを無視した」という論調のものもあるのですが、何度も観ると実はそうではなく、
まどかの願いを尊重し崇拝してしまう暁美ほむらだからこそ絶えざる自己否定の果てに心の最奥に途方もないエネルギーの激情だけが残ったのではないか?

「円環まどか、ご来迎のおりには自分の全ての力を使ってそれこそ魔なる者に堕してでも、まどかを再び」
たぶん、そんなものが自分の中にあるなどとはほむら自身も気づかなかった。
それは決して他人からは窺い知れない、、自分自身も気づかないほど「潜在化」された願い。
→心の奥底にしまいこみ、戦い続ける。これは濁る。。

そういう流れで解釈しなければ「私はこの世界で死ななきゃならないの」の筋が通らなくなる、と想うのだ。
暁美ほむらは人格破綻者ではあっても、決して嘘をつくタイプではない。

いよいよ円環ご来迎の際、朦朧とした意識の中で円環まどかに会う暁美ほむら。
すでに魔女としての自分の姿は、マミさん、杏さや、なぎさはおろか魔女軍団にまでさらけ出された後のこと。(羞恥プレイですね、わかりません)
ここまできて一体どこに自分を隠す必要も隠す場所もあるというのだろう?

「やっと、つかまえた」そう、自分の潜在化された願いを。

※このポストは夢の世界としてのカラフルOPに続きます。

ウチのQB談
「煩悶の無限ループ、いかにも暁美ほむららしいよね。」

「おい、お前はどの辺から企んでたんだよ。」

「。。。キュウ?」

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