事態は混沌を極めているっていう中で、「一体誰になりきるのが自分としては一番面白いのか?」って色々考えてみましたが、やっぱ今回たった一言の台詞しかないマッキー、かなあ。。と。

何処か離れたところで状況を把握しつつ、思いをめぐらせるマクギリスっていうのを妄想してみました。

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「神の腐った匂いはまだしてこないか?」と言った大昔の哲学者がいたが、私は彼の様な虚無主義者ではない。
ただ、この宇宙にはあまねく腐臭が漂っているという事には同意する。何しろ物心ついた頃から私はいたるところでその匂いを嗅いできたのだから。

人の作った支配構造というものは、大体こうした腐臭を放ちやすい。
程なく私はその腐臭の中心にいる人物が、他ならぬ我が父イズナリオである事を知った。
その事は私を苦しめはしたが、だからといって私が絶望するという事はなかった。
それはいつしか私の原動力となっていたのだ。


私が絶望とは無関係に歩んでこれたのは、
「物事の問題点を発見し、その解決策として『本来あるべき姿を示す』」という事に私が秀でていた事と、自分の能力の限界に挑んでそれを達成した時の無上の悦楽に私自身が魅せられていたからだった。

私はそうしなければならない。
この命はそうした事に使われなければならない。

そうしてきたからこそ、私は無数の不快感の中でも比較的順調に自分の活動する範囲を広げていけたのだ、と思う。

ただし、私には誰にも言えない秘密があった。
それは
「そのためには、友愛や人としての幸せといった『人間らしさ』を犠牲にしても寸分も迷わない」という非人間的な側面が自分にはある、という自覚だ。
この自覚故に私は本当に孤独ではあったが、同時にそれは「何の問題もなかった」のだ。
目の前にやるべき事が常にあったから、である。


「歴史は間違った者が動かす」
というのが私の歴史を学んだ末の結論であった。
破壊とそれに続く創造の連続である人の歴史は、まず破壊から始まる。
正論などという力のない戯言は、ただ大衆向けの詭弁である時にだけ有効なものだ。

私が鉄華団をいたく気に入ったのは、彼らは私にとって最も理想的な「間違った者」の集団であったからだ。
その生への執着も、勝ち目の計算の無さも、大局を見ようともしない視野の狭さも。
彼らの様な手駒こそ私の描く未来には必要だった。もっとも私が彼らを裏切る時は何の躊躇もしないのだが。


さて、私は本来あるべき姿に自分の周りをそして引いてはこの宇宙全体を作りかえなければならないのだが、今度ばかりは鉄華団任せにはできないようだ。
自分がけしかけた事とは言え、その身をモビルスーツに融合したアインは彼らの敵としては強力すぎたのかもしれない。

といった訳で私はあの白いモビルスーツをアインに当てたい、となると私自身が相手をするのはやはり。。

「君の相手は私がしよう。」

最大の親友にして我が義兄でもあるガエリオ。
君ほど私の理想に共鳴してくれた人を私は他に知らない。今後も知る事はないと言い切れる。
だからこそ。

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めっちゃ複雑なキャラクターであるマッキー。「克己的な快楽主義」とみました。
描くとこれほど面白い奴はそうそういないっす。