このページを読む人が、ティーンエイジャーなのかそれとも80歳以上の方なのかについては私には知る由もない。
しかし、以下の事については同意されることだろう。すなわち
「世界の前提は『不平等』にある」という事。

不平等はそこここにあまねく存在する。それはもうなんの疑いもないほどに。
その広大な支配力は、主に「過去」と「現在」の領域に到る。

ただそれだけが「全てを支配している」というわけではない。
「不平等」に耐え続ける事が生命の危機に直結するような場合、人間がそれを覆そうと試みるのは自然な事、だ。
いわゆる未来への希望、というやつである。

実に面白い事に、「未来」の領域を支配しているのは「不平等」とは異なる「公平」ないくつかの原理だ。
そのうちの一つが「因果応報」。

「責任は自ら取るしかない。。私もあなたも。」
成る程、三日月君にそれを言うのが自らを裁きたいであろうフミタン・アドモスであったか。

ま、次回がフミタンの決着回であるとして。。
でも一番最後になるであろう三日月君の結末は?
「ただ生きるがために殺す」が三日月君の道である。これにどう決着をつけるのか?
そこがねー、とっても気になるのよ。