大変いい感じに荒れに荒れた中、放送された最終話を見て
「この『鉄血のオルフェンズ』という創作物を一言で言いあらわすとどうなるか?」という疑問が晴れたような気がした。
すくい取るべきメッセージは一体何なのか?

※※※
「大人になれ!」
場が荒れようがキャラクターの設定が変わろうが、この一言を言いたいという情念を感じるのは私だけだろうか?
いやいや表立っては出てくるはずもないんですがね。

クーデリアとラスタルが手を組むという結末。
ヒューマンデブリ廃止っていうのは名目に過ぎず、このシーンがやりたかったんじゃないかなあ、と。
あらゆる恩讐を乗り越えて進んでいく姿を見せたかったのでは?

この結末を取ると、マクギリスはどうしても「究極の子供」として描かれねばならず、事実バエル以降マッキーは子供っぽくなってるし。。


ぶっちゃけた話、オルフェンズには「反オタク」の匂いがそこはかとなく漂うようなところがあった。
他でも書いたがそうしたジャンルの極北はThe End of Evangelionであり、そこまでの強い情動はオルフェンズにはない。
そこには、ガンプラを売らねばならないっていう背景の違いもあったりするんですがね。

でも、いつかこの「いつまでも子供でいるオタク」に対するうっちゃり、が出てくるのかなあ、と割とヒヤヒヤしながら見るのも楽しみの一つだったんですよ。
EOE大好きですから。
それを最後の最後に持ってきたんだ、と。


「大人になれ!」
そう言われたとしても嫌だって人間もいるわけで。
で、それがライドの役割になったんだなあ、と。

でもつらつら思うに、それってガンダムっていうマーケットに対しては一番不適切なメッセージでもある。なぜなら「一番子供っぽいのが集まるから」。
そういう意味では、「オルフェンズは戦略的失敗を犯した」と言われても仕方がない。
ただ、ですね。
じゃあ、商業主義に特化した「バエルかっけえオルフェンズ」にするべきだったのかって。。そりゃつまんないだろう!今度は子供向け過ぎて。


まあ、忘れられないガンダムには成れてんじゃん。(それも「決して忘れられない」っていうレベルで)
もちろん、私は好きですよ。いい最終回だと思うし。
スタッフ御一同には感謝いたします。