名瀬・タービンって「ガンダム的やなあ。。」って思うのである。

と、言うのが。。

そもそもアニメーションの世界ではじめて「愛人」の概念を持ち込んだのは、ファーストガンダムだから。
言うまでもなく、ハモンさんの事である。

まあ、劇場版である哀・戦士ではそういう設定は一旦消えるんだけどね。
TV版のクラウレ・ハモンの方。
劇場版って事でややよそいきの設定に修正せざるを得なかったんじゃないかな。

そもそも富野監督からして「愛人○○号」なんて言い方を「だから、僕は」の中でしてた。
(いやあれはイデオン・ライナーノートの方だったか?記憶が定かではないが。)

「私はあなたの子供を産みたかった。今になってそう思います。」〔ファーストガンダム企画書より、ラストシーンの案〕

→で、実際に産ませちゃったのが名瀬さん。

そう考えるとですね。。
ロンゲとスキンヘッドの違いはあるにしても、或いは
デコピンと頭突きの違いはあるにしても、

名瀬さんっていうキャラクターが富野監督オマージュのような気がしてならないんだよね。
創り手側のエモーショナルな部分でそれを創りたかったんじゃないのか?
「自分のとっての富野監督像」みたいなものを隠し設定にしたキャラクターを形にしたいっていう物凄い欲を感じるんだよ。

まあ、それが観てる側には心地良いものなんだけどね。

で、お次は前人未踏の任侠ガンダム。
うむ。目が離せん。

〔追記〕
ちなみに私の中の富野監督像は
「かつて(手塚)神に叛旗を翻した者」
デス。