生まれ落ちた場所がたまたま地獄であったなら、人はいとも簡単に人に引き金を引くのだろうな、と。
どうしてもついついファーストガンダムを引き合いに出してしまうのだが(まあ、いっか)、アムロ・レイの事を殺人マシーンと初放映終了後に言ったのはメインライターの故星山博之氏であったと思う。記録全集だったかな?
当時ティーンエイジャーであった私には、その認識は「理性的に納得できても感情的に受け入れられない事実」であった。
生身の人間は撃てないけど「相手がモビルスーツなら」ビームライフルを撃てるのがアムロ・レイ。(アムロの抱えるこの矛盾は後に13話で再び出てくる。)
モビルスーツはそういう兵士の精神をくるみ隠すオブラート、でもある。崩壊しないための。
ちなみに現実のイラン・イラク戦争で爆撃機のパイロットが「まるでゲームのようだった」と、その照準システムを形容してたりするんだけど、これは現実世界で使われているオブラート。まあ、退役後の兵士の生活を考えて作られたものなのだろうと思う。
さて、いよいよ問題作としての正体を現し始めた鉄血のオルフェンズ、ですが。。
これは要するに、そんな「オブラート」をぜーんぶ取っ払った世界。もうね、むき出しですわ。殺意が。
しかも動機が実に明確に「自分と自分の仲間のため」。鉄血ではあっても冷血ではない、という。。
容赦なさばかりがクローズアップされてますが、冷静に考えれば「そりゃそーなるわ」的な。
今回の個人的な見所は、決闘の相手がトドメを懇願した時に三日月君が見せる「邪魔くせーな」っていう態度。ありがとうさえもうざったい、だから言わせない。
美学の通じない、ホンモノの殺人マシーン(しかも人間)。創り手の狂気を感じますわぁ(大喜び)。
まあ、ホントに面白いものって大体「ただ面白いだけじゃすまない」ものだよね。